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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-11-15 14:15:22 (2 ヒット)
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「城壁の再建」ネヘミヤ記2章(1〜7章)
ネヘミヤはユダヤ人でしたが、ペルシャのアルタシャスタ王の献酌官でした。王の身辺も護る、信頼されなければ就けない役職でした。敬虔なネヘミヤはエルサレムが廃墟に等しい状態のままだという報告をハナニから聞き、嘆き悲しんで何とかできないかと思い悩んでいました。その様子を見た王は、資材も提供し気前よくネヘミヤをエルサレムへ遣わしました。神はペルシャで地位もあったネヘミヤに、エルサレムの城壁の再建という使命を与えられたのです。町を取り囲む城壁が壊されたまま、周辺国の侵略から守るものがない状態で、民は常に恐れや不安にさらされています。ネヘミヤの指揮の下、ユダヤの民達は修復作業を進めましたが、ユダヤ人の自治権と回復を望まない現地の支配者達はあざけり、怒り、手を尽くして工事を妨害しようとしました。ネヘミヤはそのたびに祈り、敵の強力な妨害、そしりや脅しに屈することなく、工事を中断することはありませんでした。サマリヤ総督サヌバラテは外からの暴力だけでなく、ユダヤ人の預言者を買収し神の言葉としてネヘミヤをおびき出そうと謀りました。しかしそれも効果なく、遂に52日かけて城壁は完成しました。城壁の再建などできっこない、できたら困ってしまう、と否定的だった人々は恐れ、大いに面目を失いました。この大工事が神によってなされたことを知り、ユダヤ人の強い信仰を見たからです。ネヘミヤはペルシャへ帰りますが、親類ハナニと城の司ハナヌヤに後を託します。仕事を委ねられる人の条件は、忠実さと誠実さです。この淡路キリスト教会も、茶間から鵜崎へ、そして2011年には新会堂が献堂されてきました。そのたびに教会を建てる困難があったことでしょう。ネヘミヤは日々、主に祈り捧げていく中で恵みを体験しました。私たちもこの淡路の地に福音が伝えられ信仰を継承する器が起こされますよう祈ってまいりましょう。私たちの願いはこの地で礼拝が守られること、福音が伝えられることです


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-11-15 14:12:57 (2 ヒット)
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「信仰の再建」エズラ記9章
大祭司の子孫、律法学者エズラが指導者としてユダヤ人と共にエルサレムへ帰還しました。帰還民は壮年男性だけではなく、女性、子供といった非戦闘民も多くいたでしょう。しかも大量の食料・家財・宝物を携え、4ヶ月に及ぶ道のりです。ペルシャ国内での旅路といえど、大規模な略奪隊による強盗の恐れもありました。ペルシャ王には護衛隊の用意がありましたが、エズラは信仰によって辞退します。緊張感を持ちながらも、無事エルサレムに帰還できた人々は喜びをもって感謝の礼拝をささげたのでした。エズラの帰還した目的は、神殿を中心として真の神に礼拝を捧げるために仕えることと、民族の宗教教育がありました。すでに第一次帰還からも約80年が経っていたので民の信仰を立て直し、崩れかけた信仰の基盤たる律法を遵守するためです。理想と希望を抱いて、エズラたちは先祖たちの地エルサレムに戻りました。しかしユダヤの地の現在の信仰状況の調査報告は耳を疑うものでした。イスラエルでは異民族であっても信仰によって共同体に受け入れられることはありました〈例:ラハブ、ルツ〉が、異民族と結婚することは固く禁じられていました。家庭に異教の神々を取り入れて信仰がなし崩しになり、イスラエルのアイデンティティーを失うからです。そのことで神の怒りを買いバビロン捕囚の要因となったのに、帰還した民は祭司も含む指導者層が異民族との婚姻を薦めていたという事実は、エズラにとってまさに寝耳に水でした。共同での神殿再建を断られたサマリヤの総督および周辺諸国の指導者達は、民の結婚という手段を用いてユダヤと同化し、ユダヤを内部から弱体化してソフトな面で侵略していたのでした。エズラはその現実に直面し、異民族と婚姻した者は離縁させるという方策を取りました。現代の私達の目からすると正しい方法と思えないが、当時のユダヤ人が真の信仰を再建するためにはやむを得ない、痛みを伴う解決策でした。そして民達は、神から与えられた律法を遵守することにより、信仰に立ち返ったのでした。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-11-02 14:58:40 (9 ヒット)
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ダビデの子孫ゼルバベルと祭司ヨシュアの指導による第一回の帰還では全てのユダヤ人が帰国したわけではありません。バビロンで良い暮らしをしていた者達は、そこに留まることを選ぶ代わりに、帰還する者に財宝や動物を贈り経済的に支える責務を負いました。帰国して住居を構えたユダヤ人達は、すぐに日ごとに捧げる犠牲のための祭壇を築きました。一年後、神殿の基礎が据えられた時には感謝の祭りを行い、大いに喜びました。しかしソロモンの神殿を覚えている老人達は、そこに4千人程の礼拝奉仕者達、オーケストラ、歌うたい達がないことを悲しみました。その後、共同での神殿再建を断られたサマリヤ人の嫌がらせによって工事は中止に追い込まれます。困難や妨害に直面したことで神殿再建の最初の意気は萎えました。奉仕の意欲を失った人々に神は預言者ハガイ、ゼカリヤを遣わされ、人々は信仰による勇気を奮い立たせます。クロス王の勅令が発見され、ダリヨス王の保護と支援を得ることが出来、着工から21年経ちましたが遂に神殿は完成しました。エルサレムの神殿はキリストの現れの時まで人々の信仰の基となりましたが、建物は繰り返し破壊・再建されました。救い主なるキリストこそが真の神殿であり、キリストの体である教会を建てられました。また、神の住まう宮として信じる私達をきよめて下さるのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-11-02 14:56:12 (10 ヒット)
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「真理の御霊」ヨハネ16:1〜16
福音書には、イエスが洗礼を受けた時に御霊が鳩のように天から降りて公生涯が始まったことを記されています。弟子たちにはペンテコステの日に聖霊が降りました。ルカによる福音書や使徒行伝によると聖霊の力・働きによって福音伝道が進められることが分かります。ヨハネによる福音書は、その聖霊の性質、真理の御霊について記しています。最後の晩餐の折に主イエスは、イエスの死および迫害の予告をしました。弟子たちの心は悲しみと不安の気持ちでいっぱいになり、その後の展望など考えることが出来なくなっていました。イエスは、苦難が襲っても驚き慌てず対処できるよう弟子たちを優しく励まし、助け主の約束をされたのです。「私が去ることはあなたがたにとって益なのです」生身のイエスは時間・空間の様々な制限がありましたが、聖霊は一人ひとりの心に住まわれ、真理の理解を助けて下さいます。その働きは、/諭垢忘瓩砲弔い董義について、裁きについて明らかにし誤りを認めさせるというのです。また聖霊は、∧_擦凌人へ導き入れます。イエスは弟子達によく「今は分からない(耐えられない)でも後に分かるようになる(理解できる)」と言われたのは、聖霊の働きにより分かるようになると話されたのです。また聖霊は、キリストの栄光を現されます。十字架による贖い、復活による勝利について人々に証しされ、信じる人々が起こされる。人々の救いによってキリストの栄光が現されるのです。神の御霊によって満たされ歩まんとする者、福音に生きようとする者、この喜びを伝えんとする者は、みな神の栄光を見るのです。神の栄光を見させてくださいと祈ろうではありませんか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-10-20 14:59:03 (20 ヒット)
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「心の内が燃えた」ルカ24:13〜32
本日は聖餐について学びます。テキストはエマオの往路。イエスは十字架で死なれ、墓は空っぽになっていた。主を喪い、希望を失った2人が、疑問や憤り、嘆きを交えて語り合っているところに突然ひとりの人が会話に参加します。人生の目的を見失って恐れ悲しんでいた2人は、この出来事の意味するところの答えを見つけられないでいました。しかし2人が気づかず話していたイエスは、彼らが慣れ親しんできた聖書の話も、初めて聞くような意味を持たせ、新しい知識へと導きます。混乱し、悶々として狭い考えの中に閉じこもっていた彼らに、視野を神のご計画という目線へ引き上げられたのです。「栄光」に入る前にキリストは苦しむべきだった、死と破壊から「栄光」へ移られた、という言葉は2人に特別に響きました。聖書の文脈に沿って解き明かしされることで、気づかなかったことに気づき、真理が見えるようになったのです。2人はイエスを家へ招き入れましたが、イエスが客人をもてなす主人となりパンを割き食事を分けました。食卓を囲む親しい交わりの風景で、2人は彼がイエスだと気づきました。そこで再びイエスの姿は見えなくなりましたが、喪失の体験はもはや彼らを弱らせるものではなくなりました。「道々でお話しになっている間も、聖書を説明される間も、私達の心は燃えていたではないか」復活の主イエスとの出会いが目のおおいを取り除き、新しい力を受けました。神様も私達と深い繋がり、親しい交わりを望んでおられます。イエスはそれを無理強いする方ではありませんが、2人が自分達から主を招き入れ、食卓を共にした時に彼らの心の目が開かれました。聖餐式のたびにその出来事を思い主の食卓に招かれ、また自らの意志で主に近づいていることを覚えましょう。


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