『神の痛み』 創世記22章
アブラハムは大切な息子イサクを燔祭にせよと神に言われ、モリヤの山へ向かいます。この箇所から「最も大切なものを捧げることが信仰の表現である」と強調され過ぎると、神様の御心を取り違えることがあります。この箇所は死人のよみがえりを信じるアブラハムの神様への信仰(ヘブル書11章)と、神はそのひとり子を与えるほどこの世を愛される(ヨハネ3章)ことを示しています。アブラハムは愛息イサクを生贄に捧げる行為を通して、ひとり子を失う神様の痛みと悲しみを体験的に知ったのです。信仰者が通る道にもあらゆる痛みがあります。アブラハムが経験した痛みが神様の愛を証ししたように、私たちの痛みも主が通られた痛みとして経験するならば意味が変わってきます。素晴らしい体験や成功することだけが神様を証しすることではありません。イサクを殺すことは神様に止められ、アブラハムが目を上げてみるとすでに代わりの生贄の羊が備えられていました。苦悩し葛藤した後でないと気づかない恵みがあるのです。痛みの体験の中でも目を上げて、備えて下さるお方である主を知ることができますように。
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