「平安があなた方にあるように」
(ヨハネ福音書20:19〜23)
イエスの弟子たちはひと所に集まって、誰も入れない様に戸を閉め切っていました。師であるイエスが死刑に処せられたことにより、ローマに弟子であると発覚すると罰せられるのではないか、自分達を取り巻く状況は非常にまずいのではないか、と心は恐れに満たされ、進退を窮していました。密閉された空間でまさに息が詰まるような中、復活の主が現れました。イエスの第一声は「平安(あなたがたに)あれ」また「安かれ」と言われました。聖書において繰り返しは大切なことの強調です。主が言われる平安とは何でしょう。イエスが十字架に付けられる前に弟子たちに語ったのは「わたしは平安をあなたがたに残して行く」「わたしの与える平安は、世の与える平安とは違う」という言葉でした(ヨハネ14:27)。それは罪の赦しからもたらされる平安です。イエスは十字架上で脇を刺された時に血と水が出ました。旧約聖書では一貫して、罪を犯した者は罰が与えられるか、贖いの犠牲をささげ血が流される必要があると説いてます。イエスは人間の罪の赦しのためにいけにえとなられ血が流されたことを語られるのです。また過越しのいけにえの条件に「その骨を折ってはならない」(出エジ12:46)とあり完全な犠牲を求めていますが、イエスは骨を折らずして十字架で死にました。通常、十字架刑は死ぬまで時間がり、死期を早めるために足の骨を折って体重を足で支えられなくして窒息させる方法が取られましたが、イエスはあまりにも短い時間で死なれたので槍を脇に突き刺し死が確認されました。キリストの受難は旧約聖書の様々な箇所に書かれた預言がその通りに成就した出来事でした。完全な贖いと、完全な赦しがキリストの十字架によってなされたのです。イエスが言われた「平安」とは聖書の預言に基づいた神の赦し、真の平安なのです。
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