「ラザロと金持ち」ルカ福音書16:16〜31
パリサイ人・律法学者たちはイエスのことを「正式に学んでいない、何の資格もない者がよく言う」と鼻先で笑って見下していました。イエスは彼らに対し、マタイ23章では「偽善者よ、まむしの子らよ、あなた方は災いである」と厳しく言われています。彼らは権威をふりかざし、厳しすぎる律法についていけない人を罪びとと軽んじているが、宗教的・社会的に差別されている人達が福音を聞き、神の国に入ろうとしていることをたとえ話で語られたのです。この物語に出てくる富豪は人々の百日分の給料である紫布の服や、エジプトから輸入した下着である細布などを身に着けて贅沢に暮らしていました。一方ラザロは、金持ちがナプキン代わりに手を拭いて捨てるパンを食べて飢えをしのぎたいと思っていました。貧しいラザロは誰も葬式を出す人がおらず、御使いによってアブラハムの懐に入れられました。金持ちも死に、盛大に葬式が行われましたが、死後は神の国には入れませんでした。この話は死後のことをそのまま語られたのではありませんが、この世での能力や才能や健康や財産が神の祝福の条件ではないことが分かります。ラザロという名前は「神の救い」という意味を持ちます。金持ちが訴えたように、あの世から知り合いが戻ってきて泣きながら必死に死後のことについて語っても、私達は信じることができるでしょうか?ヨハネの福音書のラザロの生き返りの奇蹟を見た人々の中には信じる人もいましたが、律法学者やパリサイ人達はかえってラザロを殺そうとしました。語られた言葉、行われたことが神から出たものだと信じることができない人には、どんな奇蹟が起ころうと心を変えることはできません。聖書の専門家であるはずのパリサイ人・律法学者らが律法の本質を曲げて人に教えたり、独断と偏見で神の愛から離れた行いをしていることを厳しく追及されたイエスは「私は(神の)律法の精神を実現するために来た」と言われました。罪ゆえに負うべき死後の永遠の地獄の苦しみも、イエスが身代わりとなり解放して下さいました。「こういうわけでキリスト・イエスにある者は、もはや罪に定められることはない」「その時、主の名を呼ぶ者はみな救われる」その確信をもって主を仰ぎ見ようではありませんか。
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