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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-07-07 15:24:15 (1088 ヒット)
メッセージ

「見えざる神の御手によって」創30:25〜41
ヤコブは独立し故郷へ帰りたいと叔父ラバンに打ち明けますが、ラバンはヤコブをなんとか引き止めようとして報酬をたずねます。ヤコブはあらかじめ返事を考えていたのか、黒い子羊とまだらとぶちの羊と山羊を自分の報酬として条件を出しました。ラバンはその条件を承諾しました。古代この地方では黒毛の羊、まだらの羊や山羊はまれで少数だったようです。ヤコブの申し出はラバンにとって財産の大きな損失にならなかったので最初は安堵したことでしょう。家畜を得たヤコブは産み分けの方法を行って財産を増やしていきます。ヤコブが取った方法は古代この地方で広く行われていたようですが、飛びぬけて優れた方法と言うわけではありません。そこには見えざる神の働きがあったのです。ヤコブはラバンのもとであと6年仕えます。思い通りいかない悔しい思いを経験したヤコブですが、その間に多くの家財と富を蓄えることができました。私たちは方法や手段・方策に目を奪われがちですが、普段の平凡と思われるようなことでも神は用いられ祝福されるのです。私たちもヤコブに勝るとも劣らぬ神の祝福が与えられています。周りと何ら変わることない一見平凡と思われるような生活の中でも、その背後に神が働いてくださっているのです。見えざる神が後押ししてくださり、支え助けて下さっていることを覚えましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-06-29 13:53:02 (918 ヒット)
メッセージ

「人の愛と神の愛」29:31〜30:24
ヤコブは叔父ラバンのもとでの20年の生活の中で12人の息子、1人の娘を授かります。レアとラケルはヤコブの関心を自分に向けるため、競うかのように子供を持とうとしました。それぞれが自分の女奴隷にもヤコブの子供を産ませ、数にものを言わせようとしているようでした。このような互いが一歩も譲らない男女の緊張関係には共感するところがあるのでしょうか、人の愛というのは民族を越えて古今東西の芸術の題材になってきました。出産は現代でも時に命を失うことがあります。姉妹は命がけで争っているのです。男女の愛のもつれを笑う人がいるかもしれませんが、親子の愛ならばどうでしょうか。子のためならば譲れない、一歩も引くことが出来ない切実さは時に人を傷つけもします。聖書はなぜこのような人間の愛を赤裸々に語るのでしょうか。それは人間の愛を知らなければ、人の愛を越えた神の奇跡の愛を理解できないからです。神の愛は「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」と聖書に示されています。神は絶対に譲ることの出来ないひとり子であるイエス・キリストを、私たちを罪と死の支配から救うために渡されました。そしてキリストは機械的に神に従ったのではなく「人がその友のために自分のいのちを捨てること、これよりも大きな愛はない」と語り、ご自分の愛を示されました。十字架は、人間の愛を越えた神の奇跡の愛の業なのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-06-24 15:43:52 (920 ヒット)
メッセージ

「仕える報酬」 創世記29章1〜30節
叔父ラバンのもとにたどり着いたヤコブは家族として迎え入れられ、ひと月過ごします。そこでヤコブの働きぶりを見たラバンは望みの報酬をたずねます。するとヤコブはラバンの娘ラケルとの結婚を望み、そのため7年間ラバンのもとで働くことを提案しました。7年の労働は何も持たないヤコブが収めることが出来る花嫁料に代わるものです。ラバンはそれを承諾しヤコブはラバンのもとに留まり働きました。愛する者と結婚するという目的のための7年はヤコブにとっては束の間でした。7年過ぎ、結婚式を終え花嫁を見ると、妹ラケルではなく姉のレアでした。叔父ラバンに騙されたことに気づいたヤコブは当然文句を言いました。するとラバンは、姉が妹より先に嫁ぐという習慣はこの地方にはない、ラケルとの結婚も許すがもう7年仕えよと要求しました。ヤコブはその条件を呑み、一週間後ラケルとも結婚できましたが更に7年ラバンに仕えることになりました。その後も6年ラバンのために仕え、計20年ほどラバンのもとで働いたヤコブでした。兄を騙し父を欺いた『押しのける男ヤコブ』は、叔父ラバンに欺かれ20年もの間労働力を搾取され続けます。ヤコブが犯した罪の報いだったのでしょうか。しかしその20年間は不毛ではありません。ヤコブは妻を得、子供が生まれ家族が増えていったのです。忍耐を重ねる中で彼の信仰は練られ、神は共にいてくださり、神が良きにしてくださるという信仰の報いを受けたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-06-16 14:32:25 (1029 ヒット)
メッセージ

「わたしはあなたを捨てない」創世記28章
ヤコブは兄エサウになりすまし、父イサクから長子の権利である祝福を受けました。エサウは祝福をだましとられたと怒り、ヤコブの殺害を企てます。同じ親から生まれた双子で同じ家に育った兄弟に殺意を持つところに、人間の罪深さと悲哀を感じます。それを知った母リベカは、叔父にあたるラバンのもとに身を寄せるようにヤコブに教えます。イサクとエサウの手前、旅に出るのは異邦人の妻をめとってはならず、遠方に住む同胞から妻を得るためという名目でしたが、身一つで逃げるようにして住み慣れた家を後にしました。叔父ラバンがいるハランへは片道約720kmの孤独な一人旅です。神の祝福を受け取ったヤコブでしたが、その結果として疲労と不安しかない境遇にいる自分を惨めに思ったことでしょう。石を枕にし野宿していると、夢の中で主がかたわらに立たれ祝福の約束をされました。「私はあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、この地に連れ帰る。私は決してあなたを見捨てない。」それは落ち込んでいた彼に勇気を与えました。そこはきらびやかな神殿ではなく、富や栄華とは程遠いと思われる殺風景な所でしたが、確かに神の臨在があったのです。今の状況が幸福とはかけ離れているように思われても、神が私達のすぐそばにおられると約束して下さる、その臨在こそが祝福の根源であり、神の臨在に対する畏れと感動が信仰の基となるのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-06-08 12:33:09 (1029 ヒット)
メッセージ

「神の計画と人の思惑」創世記27章
イサクは自身の健康上の理由から、神の祝福を次の担い手に継承させなければならないと考えたようです。25章で「兄は弟に仕える」と主の言葉があるため、弟ヤコブが神の御心であることをイサクは知っていたことでしょう。しかしイサクが選んだのは長子のエサウでした。そこで母リベカはヤコブに、兄エサウになりすまし父から祝福を受けるよう指示します。イサクはエサウを、リベカはヤコブを愛したと父母の偏愛が記されています。祝福を与えられる神の御旨から外れたところで人々の思惑が交差し、それぞれが互いに自分の意志を通そうとしたとうかがい知る事が出来ます。リベカは夫イサクの目の弱さにつけこみ、騙すようにヤコブに知恵を与えます。神はその出来事を用いてヤコブを祝福します。エサウは祝福を奪われたことを知ると、ヤコブに激しい殺意を抱きます。イサクも自分が騙されたことを知り、激しく身震いします。その身震いはエサウのような怒りによるものではなく、神の御意志に触れたからです。神の御心を知りながら自分の思いを優先しようとしたイサクでしたが、「神の計画」は必ず成り、神はすべてご存知であることに恐れおののくのです。イサクはヤコブに対する祝福を取り消すことはありませんでしたが、祝福の争奪によりリベカが得たものは愛するヤコブとの別れでした。神の御心を知りながら、それとは別の自分の思いを遂げようとすることは私たちにも身に覚えがあることではないでしょうか。その結果、恐れおののき悔い改めるのです。私たちは折々自分の心を点検し、御心を行わせてくださいと祈りましょう。


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