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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-08-24 20:54:08 (886 ヒット)
メッセージ

『テサロニケの人々』


パウロが、テサロニケへ行き、み言葉を語った結果、多くの人がキリストを信じた。しかし、それをねたんだユダヤ人たちの反発によって、暴動が起き、パウロは、そこを出ざるを得なくなった。彼は、迫害の巻き起こる中、まだ信仰の幼いテサロニケの信徒たちを励まし、誤った考えを持つ人たちを教えるために、この手紙を書いた。

パウロは、‘いま歩いているとおりに歩き続けなさい’と彼らの信仰の姿を喜びつつ、不品行に陥ったり、人に依存した生活になったりする人に、注意を促している。私たちも、自分はしっかりと信仰に立っている積りでも、改めて自分の信仰を吟味する必要がある。

再臨に対しての励ましも書かれている。私たちも主の来られるまで、しっかりと主を見上げてまいりましょう。     


                      テサロニケ。魁В院6


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-08-17 19:52:48 (909 ヒット)
メッセージ

『平和をつくり出す者』


 「幸いです」という言葉から始まって、どんな人…?と関心を向けたら‘心の貧しい人’‘悲しんでいる人’と続いている。このような人のどこが「幸い」なのだろうか?

 自分は、何でもできる、何でも自分で解決してきた…と言う人に、神様は必要ないかも知れない。自分の弱さを知り、自分の足りなさを痛感する人に、神様が必要であり、近くにおられる。

 

 終戦記念日が近いのに、戦争を記憶する者が減って、その関心が薄れている。身近かなところで小さな争い事は起こっている。また私たちの内側でも、罪との葛藤は常に起こっている。このような私たちの所に、『平和の君』としてイエス様が来て下さった。私たちは、私たちの内側と外側の平和のために、主に祈りととりなしをする者としていただきましょう。     

                           マタイ5:3〜10


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-08-10 14:08:38 (811 ヒット)
メッセージ

『競技をする者』


今、オリンピックで盛り上がっているが、私たちの人生は、その競技に例えることが出来る。出場する以上、賞を得るために、ハッキリとした目標をもって走らなければならない。

私たちの目標は、神様が備えて下さっている永遠の命である。目標に向かい、主に従って歩まなければ、方向が定まらず、まっすぐ進めなくなってしまう。私たちの心がいつも主以外の何かに集中しているなら、‘あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。’と言われているように、大切な道を見失ってしまう。

 

主が与えて下さる道を、また目標をしっかり見つめて、人生を、また使命を全うする者とさせていただきましょう。人生のマラソンを走り終える時に、‘義の冠が待っているばかり’と胸を張って言える者でありたいですネ。

                          コリント。:2427


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-08-03 20:15:04 (947 ヒット)
メッセージ

『主は避け所』


ダビデがサウル王からの攻撃を避けて、逃げている時の詩篇は、ここを含めたくさん有る。言いようのない恐怖や悲しみは、自分に‘心を留める者はひとりもない’ような孤独に陥れる。

この詩篇は、苦しみ中で主に近づき、主と深い交わりの中で祈り求めることの大切さを教えている。彼は、‘声を出して’‘嘆きを注ぎ出して’必死に祈り求めている事がわかる。そして、主は彼の‘避け所’であり、‘すべてを知る方’‘嗣業(受けるべき分)’として、近づき信頼を寄せている。

私たちが、罪ゆえに隠れなければいけない者であった時もイエス様が私たちの‘避け所’となって下さった。様々な苦しみに悩む時、主は私たちの‘避け所’となって下さる。どんな時も、祈りやみ言葉の中に、主との深い交わりを持つようにしましょう。        


                           詩篇142篇


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-27 18:55:31 (899 ヒット)
メッセージ

 


『仕える者の報い』

この記事は、‘僕に対して’の教えが書かれているが、‘キリストの僕’である私たちにも語られている。私たちが奉仕をする時、また助けを必要とする誰かに何かをしようとする時、「あの人に・・してもらったから」と言う事を基準にしやすい。しかし、聖書は、何事も人に対してではなく、主に対してするように」教えている。

マタイ25章の譬えに、見返りを求めず、愛を実践した人に王が、小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』と、主が再び来られる時、私たちに報いを与えて下さる事がわかる。

一般社会でも、『情けは人のためならず』と人に親切にするなら、天において主が報いて下さる私たちは、何においても主に仕えるように、奉仕をし、愛を行う者でありましよう。

                        コロサイ3:2224


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