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投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2010-07-18 23:51:55 (695 ヒット)
メッセージ

ダマスコ途中でイエス様に声をかけられ、変えられて改心したサウロのために、祈るように命じられたのは、敬けんなアナニヤであった。サウロがクリスチャンに大変な迫害をしてきた事を知っている彼の戸惑いは想像できる。
私たちは、時折りなぜこんな大変なことが起るのだろう、と思うことに遭遇し、逃げてしまいたい、衝動にかられる。アナニヤもそんな心境ではなかっただろうか?しかし主は一方的にアナニヤを選び、サウロのために祈る奉仕をさせられた。アナニヤも、生涯忘れることのできない喜びとなったのではないだろうか?
私たちの逃れたいような現状も、主の大きなご計画の中にあることで、主は力を与え、後に必ず大きな喜びに変えて下さると信じましょう。 使徒9:10〜22


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2010-07-11 23:49:22 (621 ヒット)
メッセージ

9〜11章は、イスラエルの問題が取り上げられている。パウロは、その働きの中で、度々、選民意識の強いユダヤ人と対立しなければならず、それは、同胞を思う彼にとっての悲しみであった。
神様の選びは、一方的なもので、特別な血筋や能力によらず、超自然的にサラによってイサクが生まれたように、神様の主権によるものである。また主に背き続けたイスラエルを見放されることも、主の主権による。
イエス様の十字架による救いの業が、主を認めないユダヤ人にとって、つまづきでしかなかったように、私たちの周りの人にとっても、‘愚かな’事としか思えないかも知れない。しかし、私たち主を信じる者には、大きな力である。いつも主の十字架を見上げてまいりましょう。
ローマ9:19〜33


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2010-07-04 23:46:07 (629 ヒット)
メッセージ

ソロモン王は、隣国の王も目をみはるような財産を持っていたが、決して正しい歩みをしたとは言えなかった。イエス様は、金持ちのたとえで、真の命の大切さを教えられた。
私たちは、イエス様の十字架によりあがなわれ、朽ちない命が与えられているのだから、朽ちるものではなく、上にあるものを求めるべきである。また、キリストご自身の中に、一切の宝が隠されていて、そこから私たちは、知恵や知識を得ることができる。
アブラハムやヨブなど、富を持っていても、主の前に忠実に歩んだ者もいる。要は、何を第一にするか?関心の中心がどこにあるか?が大切である。主は、私たちの必要としているものすべてをご存じであるから、しっかりと主に目を向けていきましょう。 コロサイ3:1〜5


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2010-06-27 23:39:42 (883 ヒット)
メッセージ

コロサイの町は大きな町ではなく、教会もまた小さな群れであったが、キリストへの信仰と‘望みに基づく’愛を持ち続けていた。パウロは、彼らのその姿勢を知って感謝している。
しかし当時、イエス様が神と人との中間で、神性を否定するような誤った教えや天使礼拝など異端的な習慣を持ちこむ者もあった。パウロは、改めてイエス様が天地創造の時から、神として働いておられたこと、あがないの業を成し遂げられた教会のかしらである、と語る。
私たちの周りにも様々な教えや異端、占いなどが氾濫している。私たちは、それらのものに振りまわされず、十字架の血によってあがなって下さった教会のかしらである主に、しっかりと結び合されて、従ってまいりましょう。
コロサイ1:15〜20


投稿者 : admin_miyakojima 投稿日時: 2010-06-20 23:37:07 (799 ヒット)
メッセージ

この部分は、63章から始まった祈りにたいする答えであり、イザヤ書の結びでもある。人がさまざまな事で思い悩み、祈り求めに対し、主は、『私のものだ』とそのみ言葉によって天と地を創り、治めておられるその偉大さを思い起こさせられる。
私たちは、建築に向かっていろいろと思い、み心と思って突き進んでいる。しかし、実際には、問題もある。ソロモン王が‘いと高き天もあなたをいれることはできません。わたしの建てたこの家などなおさらです。’とへりくだって祈ったように、
祈らなければならない時ではないだろうか。ましてや様々ないらだちで、罪を犯し、捧げようとしている神の宮をけがしてはならない。
今こそ、主の前にへりくだって近づいて祈ろうではありませんか。 イザヤ66:1〜11


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