この部分は、63章から始まった祈りにたいする答えであり、イザヤ書の結びでもある。人がさまざまな事で思い悩み、祈り求めに対し、主は、『私のものだ』とそのみ言葉によって天と地を創り、治めておられるその偉大さを思い起こさせられる。
私たちは、建築に向かっていろいろと思い、み心と思って突き進んでいる。しかし、実際には、問題もある。ソロモン王が‘いと高き天もあなたをいれることはできません。わたしの建てたこの家などなおさらです。’とへりくだって祈ったように、
祈らなければならない時ではないだろうか。ましてや様々ないらだちで、罪を犯し、捧げようとしている神の宮をけがしてはならない。
今こそ、主の前にへりくだって近づいて祈ろうではありませんか。 イザヤ66:1?11
2010年6月20日礼拝メッセージ要約
- 2010-06-20
- メッセージ2010