コロサイの町は大きな町ではなく、教会もまた小さな群れであったが、キリストへの信仰と‘望みに基づく’愛を持ち続けていた。パウロは、彼らのその姿勢を知って感謝している。
しかし当時、イエス様が神と人との中間で、神性を否定するような誤った教えや天使礼拝など異端的な習慣を持ちこむ者もあった。パウロは、改めてイエス様が天地創造の時から、神として働いておられたこと、あがないの業を成し遂げられた教会のかしらである、と語る。
私たちの周りにも様々な教えや異端、占いなどが氾濫している。私たちは、それらのものに振りまわされず、十字架の血によってあがなって下さった教会のかしらである主に、しっかりと結び合されて、従ってまいりましょう。
コロサイ1:15?20
2010年6月27日礼拝メッセージ要約
- 2010-06-27
- メッセージ2010