『見よこの人だ』
イエス様は、ユダヤ人たちの尋問の後、ピラトの裁判を受ける事になった。彼らには、死刑にする権限がなかったからである。ピラトは、「この人になんの罪も見いだせない」と、退けようとするが、彼らは、納得しない。
イエス様は、ムチ打たれ、侮辱され、‘ユダヤ人の王’と言われるには、あまりにみじめな姿とされた。そんなイエス様をピラトは、「見よ、この人だ」と、単なる一人の人にすぎない事を強調する。
それでも主は、十字架に架けられた。私たちのあがないのためのご計画だったからである。私たちは、「見よ、この人だ」と指し示されるイエス様を十字架につけられ、私たちの罪のため、‘苦難の僕’となられたイエス様を、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と感謝し、告白する者でありましょう。 ヨハネ19:1?11