2012年4月15日の礼拝メッセージ

 

アブラハムやモーセは、罪を犯した同胞のため、とりなしをした。また祭司たちによって、脈々と人々の罪のためのとりなしは、続けられてきたが、決して完全なものでは無かった。
イエス様は、十字架の上で私たち全人類のあがないを完成して下さり、「父よ彼らをお赦し下さい」と、とりなし祈って下さった。そればかりか、復活し、今も私たちのためにとりなして下さっている。

私たちは、主の十字架によって、罪を赦され、救いの中に入れられていることを、忘れてはならない。それにより、自由に‘アバ父よ’と近づく特権が与えられているのだから、それを生かして主に祈る者となりましょう。また自分のことだけでなく、あなたがとりなしての祈るべき人が必ずあるのです。        ヘブル7:22?25