2012年10月14日礼拝メッセージの要約

『イエスキリストのいやし』

口のきけなくする霊に取りつかれた子を、弟子たちは癒すことが出来なかった。彼らは、イエス様に悪霊を追い出す権威を与えられたハズであったが、出来なかったばかりか、学者たちと論じ合うことに気を取られていた。
イエス様は、目を向けるべきものが見えていない弟子たちや「もしできれば・」というこの父親の信仰の弱さを嘆かれる。イエス様が十字架に架かられたのは、人々が救われるため、癒されるためであった。私たちは、それをしっかりと見据えていなければならない。

 医学の発達で、これはどう考えたらいいのか?と思う事が有る。しかし、十字架に架かられた主は変わることなく、私たちの癒し主である。どんな時も「不信仰な私をお助け下さい」と主に近づく者でありたい。                       マルコ9:14?29