『信仰による義』
アブラハムが、‘すべての国民の父’と呼ばれ、大きな祝福を得たのは、神様の声を聞き、国を出て示される地に行った、その信仰によってである。『アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた』この短い言葉で、アブラハムが、律法も割礼もない時の‘信仰によって’義と認められたことが表されている。
律法や行いによって、歩もうとするなら、それを完全に守らなければならない。守り行わないなら‘のろわれる’とまで書かれている。アブラハムの約束は、彼の≪子孫≫であるイエス様に受け継がれ、十字架によって、信じる私たちに与えられている。
立派な行いや奉仕が、信仰のバロメーターのようになってしまう時がある。≪ただ信仰のみ≫によって、救われ神の子とされている恵みに感謝いたしましょう。 ガラテヤ3:6?18