『幼子のように』
目の前の現実は、ほど遠いものであったが、宮を再建し、エルサレムに帰る回復の預言が語られる。老人たちが座し、子供たちが戯れている光景は、平和の到来を預言している。今の状態が、どうであっても、回復を約束された主は必ず成し遂げて下さる。
イエス様の周りには、子供たちが集まり、それを弟子たちにも妨げることを赦されなかった。教会にとっても社会にとっても子供たちは、宝であり、彼らのようにならなければ、‘神の国に入る事は出来ない’、福音を知る意味において良いお手本である。
ゼカリヤの預言にあったように、教会は、救われた者が、子供から年配者に至るまで、共に祈り合い、礼拝するところであり、主はそれを喜んで下さる。 ゼカリヤ8:1?8