2013年2月10日礼拝メッセージの要約

『主の弟子である事の基礎』

 私たちは、思わず「主よ!」とクチ走ってしまう事がある。悩みや問題の時、主の名を呼び祈る事は、大切であるが、単に口癖のようになってしまってはいないだろうか?そこに主への思いも信仰も無ければ、たとえ‘多くの力あるわざを行った’としても、不法を働く者と扱われてしまう。

私たち主を信じ、弟子として歩む者の基礎は、主のみ心に従う事である。主のみ心に従う事を土台にして、主の働きをすることで、実を結ぶことが出来るのである。その人が良い弟子であるか、どうか…その実によってわかる、と書かれている。
 
「主よ主よ」と言うばかりでなく、み言葉に従い、み心を行う者でありたい。そして、‘完全な者になりなさい’と言うみ言葉には、程遠い私たちであるが、イエス様により赦され、少しでもイエス様に似た者として、歩む者としていただきましょう。
                            マタイ7:21?29