『主を喜ばせる』
社交辞令で、『お多幸をお祈りいたします』と手紙に書き添えられていたりするが、パウロは、関わった教会の祝福を、心から祈り続けていた。彼の祈り、願いは、彼らが主を知ることであった。
社会科の勉強などでイエスキリストを知っている人は多い。けれどもここでいう‘知る’というのは、聖霊により、内面がてらされ、弱さ足りなさが示された上で、霊的な知恵と理解力で神様のみ心を知ることである。
私たちは、時折り「神様のために」と思ってやっている奉仕でさえ、単に‘自分のやりたいこと’に過ぎない事がある。主は、何を求めておられるのか?祈りつつ、み旨を知り、み心に沿った生活をすることで主を喜ばせ、良い実を結ぶことが出来る。そのような主との関係がさらに、主を知る事になり、主を喜ばせる事が出来るのです。
コロサイ1:9?10