『神に近づく』
自分を義人と他者を見下げている人について、イエス様は、パリサイ人と取税人の祈りにたとえて、語られた。取税人と比べ自分こそが相応しい者と高ぶっていたパリサイ人を退け、自分の罪を認め、神に祈った取税人を義と認められた。
当時、取税人が神の前に出てくるには、相当の勇気と信仰が必要であった。彼が‘どうせ自分なんか’と出てこないとすれば、ある意味での自己中心であり、赦しを受け取る事は出来なかっただろう。しかし彼はへりくだって、目を上に向ける事もできなかったが、主の赦しを受けとる事が出来た。
悪い裁判官でもあきらめずに近づいたやもめのように、屈託なく近づく幼子のように、私たちは、事ごとに信仰を持って、そしてへりくだって主に近づく者でありましょう。主は、へりくだって近づく者に恵みを下さるのです。 ルカ18:9?14