『主の僕イエス』
片手の悪い人を安息日であっても、羊より優れたものと癒された事は、この章のはじめの記事も含め、‘安息日問題’に発展し、彼らはイエス様を殺そうと相談する。イエス様は、それを知って去られた。
ここはイザヤ書42章の中にも、主の僕としての預言がされている。それは、神の使命を全世界に果たすために、神が支持され、選び、喜ばれ(心にかなう)、その霊を与えられたイエス様の姿が表されている。
世界ではいろいろな紛争がある。しかし、イエス様は、僕としての使命を全うするために、決して争わず、叫ぶ(絶叫して相手を威嚇する)ことなく、弱い者一人一人を顧み、異邦人に至るまで、望みに生きるように、あがないを全うされた。私たちは、この恵みに感謝すると共に、イエス様のように、争うことなく、弱さの中にある人たちを覚えて、祈り、助ける者となりましょう。 マタイ12:9?21