『つまずきの石』
イスラエルの歴史は、神様の選びが実現していく歴史でもあった。そして主は絶対的権威をもって、それぞれの時と場所で人を選び、用いて来られた。その選びは、異邦人をも‘あわれみの器’として選び、救いの中に入れて下さった。
異邦人は、ユダヤ人たちのように、律法を守ったり、立派な行いはできなかったが、信仰によって義とされた。ユダヤ人は、信仰によらず、律法を守り、立派な行いを追い求めたために、義に至らなかった。
ユダヤ人にとって、ナザレのイエスを救い主と信じる事が出来なかっただけでなく、‘ただ信じるだけ’という事が、つまずきの石となった。同じように、‘イエス様の十字架を信じるだけ’と言う救いは、私たちの周りの人も信じがたい、と言う。しかし、信仰によって受け入れた私たちには、救いの岩であり、神の力である。
ローマ9:24?33