『主に喜ばれる歩み』
イエス様を信じて‘救われたクリスチャン’と言えどもこの日本で生きていく以上、様々な仏教また他の宗教的な集いや風習に付き合う事を避けて通れない。また、飲酒などについても同じことが言える。
パウロは、偶像にささげた物を食べることや、律法主義的なことにこだわる人たちと、すでにそこから解放されていると自由に振る舞う人たちの間に起こった論争を、あえてどちらかに「こちらが正しい」と言わず、さばき合うことをせず、食べるにしても食べないにしても、‘主のために感謝をもって’することが大切である事を教える。
私たちは、どの時にも『私たちのために十字架にかかって下さった主のために生きている』事を忘れてはならない。あの人がどう思うか?よりも、その行動が、主に喜ばれる事かどうかを、人を躓かせないか思う選択をしていきたい。
ローマ14:1?12