淡路聖会
『天が開かれている人生』 使徒7:54?60
和泉神愛キリスト教会牧師 平松 慶次師
聖霊が教会に注がれて、教会は、成長していったが、大変な迫害も起こった。ステパノの殉教もその一つである。しかし、彼は「天が開けて‥」イエス様の姿を見て“死が終わりではない”事が分かった。だからこそ、自分を殺そうとする者たちのために、とりなして祈る事が出来た。
基本的に、人を自分の力で赦す事はできない。聖霊に満たされることでそれができる。聖霊の本質は、神様の愛に満たされることである。
愛の本質は、罪の赦しである。私たちの罪をイエス様が、十字架により引き受けて下さった。私たちの力では難しくても、聖霊により、1つになり赦し、受け入れあう事が出来る。私たちの地上の人生は短い。私たちの国籍は天に開かれている。主を見上げ、聖霊に満たされていきましょう。