『誰を捜しているのか』ヨハネ20章11?18節
イエスの十字架による死から三日目の週のはじめの朝早く、イエスの墓が空になっているのを見たマグダラのマリヤは悲しみに沈んだ。愛する主の遺体がどこにも見あたらないからである。
「誰を捜しているのか」と問われた時、彼女はその人を墓の管理者だと思っていた。何故、すぐにイエスだと気づかなかったのか?(死人が復活するなど)ありえない、という思い込みは真実から目をおおってしまう。「マリヤよ」と生前と同じように親しく語られた時、彼女の心の目は開かれ、それがイエスだと分かった。
「いつまでもここで私にすがりついてはいけない、他の兄弟達の所へ行って、このことを告げ知らせなさい。」失意の内にあった彼女は喜びながら墓を出て行った。「私は主を見ました。」主の復活の最初の目撃証言者となったのである。私達も主の復活を信じる時、聖書を理解する力が与えられ、悲しみが喜びへと変えられるのである。
4月5日のメッセージ要約
- 2015-04-05
- メッセージ2015