「キリストの死」ルカ福音書23:32?49
犯罪人たちと共にイエスは十字架刑に処せられましたが、そこからいくつかのキリスト像が浮き上がります。
?とりなすキリスト:この聖書箇所で繰り返されているのは「自分を救ってみろ」というイエスに対する罵声です。詩篇22篇には義人の受難が書かれていますが、このメシヤ預言から「人を救うために、ご自身を犠牲にしたキリスト」が浮き彫りにされます。「父よ。彼らをお赦し下さい」と執り成し祈られる姿は、イスラエルを執り成すモーセのごとくです。モーセは神と対話し、イスラエルを率いた指導者でした。申命記18章の「あなたのような預言者を遣わす」とはイエスのことを指していたのです。
?共にいて下さるキリスト:十字架につけられた犯罪人の一人はイエスに「あなたが御国の権威をもっておいでになる時、私を思い出して下さい」と信仰告白しました。イエスは「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」と約束されました。天の御国にはどこでどのようなところか場所的なことには触れられていませんが、イエスは一緒にいるとおっしゃいました。生きている時も死んだ後も、信頼できるイエスが共にいて下さることに平安を覚えましょう。
?大祭司たるキリスト:イエスが息を引き取る頃、日食が起こり神殿の幕(聖所と至聖所を隔てる垂れ幕)が裂けました。至聖所は一年に一度、大祭司のみがイスラエルの執り成しのため入ることができます。大祭司たるキリストの十字架のあがないによって律法における神殿の役割が終わり、いけにえなく直接神と交わりのできる新しい道が開かれたのです(ヘブル9章)。
3月20日 メッセージ要約
- 2016-03-20
- メッセージ2016