「約束の聖霊」使徒行伝2:1?21
キリストを信じる人々が集い、祈りをささげていたところ、イエスが話されていた約束の聖霊が降り、聖霊に満たされた人々は異言で神を褒め称えました。ユダヤの人々は驚き惑い、あるいは嘲って「酔っぱらっているのだ」とからかいました。そこでペテロは立って声を出し、これは聖書の預言の成就なのだと論証しました。旧約での神の御霊の注ぎはギデオンやサムソン、ダビデら神に選び召された特定の人々でしたが、ペテロが引用したヨエルの預言によると「わたしの霊をすべての人々に注ごう」とあります。しかし読み進めていくとそれは無差別に万民に注がれるのではなく神を信じ従う者に注がれ、主の御名を呼び求める者は救われるとあります。主とはイエス・キリストの事です。聖霊によらなければ誰も「イエスは主です」と告白することは出来ない(?コリ12:3)と聖書に書かれてありますから、信仰は聖霊の賜物です。私たちが主イエスを信じる以前から聖霊は働いてくださっていたのです。神の救いの計画は、イエスの十字架による罪の贖い、復活、昇天と進んでいきました。そのプロセスを経て約束の聖霊は降ったのです。ペンテコステの日に、弟子達にはっきりと分かるように聖霊は降りました。信じる者に約束された神の御霊に満たされ賛美し、礼拝をささげることを聖書は教えます。ペンテコステの礼拝で、一人ひとりが新たな力を受けて、聖霊の働きを感じながら日々歩んで行くことができますように。
5月15日 メッセージ要約
- 2016-04-15
- メッセージ2016