「見ておられる神」創世記31:22?55節
ヤコブ家族を猛追したラバンの夢に神が現れ、ヤコブと争う事を止められます。しかし無くなったテラフィムはヤコブが盗んだと思いこみ、返すよう要求します。テラフィムは祭儀の道具であり家長の権利の象徴でもあります。ラケルが父に対する腹いせか本気で相続権を主張するつもりか勝手に持ち出した物でしたが、妻が隠し持っているとは知らないヤコブにとっては全く身に覚えのない言いがかかりに、20年間の不満が一気に噴き出します。ラバンのもとでの20年を思い出しながら話している間に少し冷静さを取り戻し、人の世での悔しいどうにもならないことでも神の御手によって正当に取り扱われることに気づくのです。ラバンから契約を結ぼうと提案がありそれに応じたヤコブは印として石の柱を立てました。怒りと憎しみによる衝突を神の介入によって避ける事が出来た記念の印でもあります。契約の内容は大まかに?レアとラケル(ラバンの娘たち)を妻として大切に扱う事⓶領域の不可侵、でした。神は人生の節目において介入されることがあります。私たちも神が助けて下さった、救って下さった事実が信仰によって心の内に記念碑としてあると思います。私たちもこの信仰の石塚の一つひとつを忘れることなく、幾度も思い起こし、行く先々で神が共にいてくださり守って下さっているという確信を増し加えることが出来ますように。
7月10日 メッセージ要約
- 2016-07-10
- メッセージ2016