「喪失」 創世記35章8?29節
ヤコブは神の指示によってアブラハム・イサク・ヤコブとその子孫へ与えられた約束の地へ帰りました。しかしそこで身近な人(母親、妻、父親)の死を経験します。聖書では直接リベカの死について語られてはいませんが、リベカの乳母デボラの死について言及されています。おそらくここで母リベカの死も知ったであろうと思われます。そして長旅の負担が罹ったのか、最愛の妻ラケルが難産により亡くなりました。ラケルは自分の命と引き換えに産んだ子を「ベンオニ(苦しみの子)」と呼びますが、ヤコブはベニヤミン(右手の子=権威を表す)と名付けます。後年、ヨセフ物語の中でベニヤミンの存在は家族を一つにする役割を担います。神様が祝福された者であっても問題は起こり、喪失体験をします。その苦しみの中で「何故?」と問い、考えますが、私達が体験した苦しみや痛みがやがて用いられ、私達自身の励ましやなぐさめになることもあります。父イサクの死に際し、ヤコブは兄エサウと共に父親を葬ります。イサクをだまし兄になりすまして長子の権利と祝福を受けたヤコブは、エサウに殺意を抱かれるほど憎まれましたが、イサクが兄イシュマエルと共に父アブラハムを共に葬ったように、神の取り扱いを受けて兄弟の関係は回復していました。死の前に私達は無力ですが、死を通して神のご計画を知ることができるよう、主の助け導きを求め祈りましょう。
8月14日 メッセージ要約
- 2016-08-14
- メッセージ2016