「すべてが益とされ」使徒28章
嵐に会い舟は失いましたが乗員は全て助かりました。着いたマルタの村民も火をおこし暖を取り、親切にもてなしてくれましたが、柴の中にマムシがいてパウロにかみつきました。迷信深い島の人々は人殺しに対する神々からの罰だと決めてかかり、パウロがいつ死ぬか様子を見ていましたが、パウロが倒れないのを見て、次にはパウロを「神だ」と見方を変えました。以前にも同様なことがあり(使徒14章)パウロたちは同じような対応をとったと考えられます。また、親切にもてなしをした首長の家に高熱と下痢に苦しむ父親がいたので、パウロは祈り彼に手を置きました。するとたちどころに癒され、それは噂となり島の病人と家族がこぞってパウロのもとに来て癒されました。聖書には記されていませんが、島の人々がパウロの信じる神を知り、恐れを抱いたことは想像できます。嵐がなければマルタ島には寄りませんでした。神は嵐を用いてマルタに福音を伝えるきっかけをつくられたのです。神の行う事には理由があります。一つひとつの出来事の意味が明らかにされるわけではありませんが、それは神様の配慮です。過去を検証することは大切なことですが、どうしてあんな出来事が起こったのかと過去を問うのではなく、まだ見えない未来に目を向け、神様が道案内をして下さると信頼し歩むことが大事です。パウロの強さの秘訣はその信仰にありました。御言葉に基づく信仰を見られ、神は御業を現されたのです。私たちも万事を益と変えてくださる(ローマ8:28)という御言葉に基づくことによって、失望せずに歩み続けることが出来るのです。
10月23日 メッセージ要約
- 2016-10-23
- メッセージ2016