「心を見られる神」サムエル記上1章
ハンナは子どもがいないことで思いわずらっていました。ペニンナが彼女を憎んで悩ませていたからです。夫エルカナのなぐさめもハンナの心に響きませんでした。人には地上で与えられたいのちの時間に限りがあります。その中で様々な計画を立てたり段取りをしたりしますが、自分の力が及ばなかったり、周りとの人間関係の上で想定外のことがあったり、理想と現実に開きがあると悩みが深くなります。思うように進まず行き詰まり、何とかならないかと考えるほど憂いが増していきます。ハンナは行き場のない苛立ちと積もる憂いにうめきながら、「私の胎に男の子を賜り下さい」と主の前で長く祈っていました。祭司エリに話しかけられ、「私はただ主の前に心を注ぎ出していたのです」と答えました。時間の制約の中で追われながら大切なものを見失いがちな人間が、祈りの中で永遠の神に触れられることにより、時間という枠から自由にされるという気づきが与えられます。ハンナは神との関わりの中で心が整えられ、もはや以前のような悲しげな顔ではなくなりました。私達は心の外側の状況に左右されがちですが、目に見えない神は見えない心の内側、奥深いところを取り扱われるのです。祈りによって内側が変えられると、外観(顔つき)までも変えられたのです。やがてハンナは身ごもり、男の子(サムエル)を産みました。その子をハンナは神に捧げました。神様は一人ひとりに「心」を与えて下さいました。神様と出会う場所です。悩みが深くあせりと苛立ちがどうにもできないと思う時、どうか心を注いで主に祈って下さい。人生の中で本当に大切なものは神様との交わりなのだと気づき、永遠を思う心、神様の視点で自分を顧みて、様々なものから自由にされることができますように。
11月13日 メッセージ要約
- 2016-11-13
- メッセージ2016