「礼拝する者」マタイ2章1?12節
東方の博士らがもたらした新しい王の誕生の知らせはエルサレムに静かな緊張を生みました。救い主を求める人々には喜ばしい知らせのはずですが、ヘロデ王にとっては自分の立場を脅かす者の出現と捉え、殺害を企てます。祭司長・律法学者たちは、偽キリスト出現の報と同様にみなしたか、関心を持ったとしてもヘロデ王を恐れて動けなかったのでしょう。ユダヤ人たちが長い年月待ち望んでいた救い主の誕生の知らせ、それを聞いて実際に訪ねて行ったのは皮肉にも彼らが蔑む異邦人と羊飼いでした。東方の博士らは星の輝きに導かれ幼子のいる家屋へたどり着きました。異邦の国にあって遠く離れた世界、文化圏に生きていた博士らに新しい王(救い主)に会いたい思いが与えられ、神の不思議な導きによって幼子イエスに会いまみえる事が出来ました。彼らは幼子を拝し、高価な贈り物をささげました。博士らは聖書理解から確固たるメシヤ像を持っていたわけではなかったかもしれません。しかし時間と距離をかけ、彼らにできる最高のささげものをし、礼拝者とされたのです。私たちも心に救い主に対する思い・飢え渇きがあったため、神がイエス様のもとへ導いて下さったのです。クリスマスに神の導きを思い起こし、感謝の礼拝をささげられますように。
12月18日 メッセージ要約
- 2016-12-18
- メッセージ2016