「起きて、歩きなさい」ヨハネ5:1?9
淡路キリスト教会は教会員の方、礼拝に参加されている方すべての人に2017教会アンケート(エンディングノートの性質を含む)にご記入いただこうと思います。死を忌み嫌う方からすると、自身の死(死に際・死後)について考えることに躊躇または敬遠するかもしれません。しかしキリスト者は死が終わりではなく、その先の永遠を見据えていますから、恐れに支配される必要はありません。死と罪の問題に解決を与え、勝利してくださったイエス・キリストが共におられるという信仰によって、穏やかに自身の死と向き合うことが出来ることでしょう。自分の死と向き合うことは今までの生き方、培った人との関係性と向き合うことでもあります。また如何に死を迎えるかは、これから如何に生きるべきかに通じるところがあります。如何に生きるべきか答えを持っている者は幸いです。聖書は愛の律法によって答えます。互いに愛し合い、仕え、励まし、助け合うことが出来る力の根源は、神に愛され、赦され、救われた喜びです。人が人の愛を感じる時の一例は、自分の存在を理解し、知った上で受け入れられていると思う時です。本日の聖書箇所には38年間も病によって絶望の淵にある男性がイエスにより癒され、自身で立ち上がり歩くことが出来るようになった奇蹟の話です。38年もの歳月は痛みや辛さ、思い通りにいかない悔しさ、誰も助けてくれない怒り、憎しみ、様々な感情の積み重ねはやがて「治りたい」という思いをも覆ってしまいました。男は「治りたいか」というイエスの問いに「誰も助けてくれない」と答えました。イエスは男の思いを十分に受け止めた上で「起きて、歩け」と命じました。そのイエスの声は男を覆っている様々な情念を突き破るものでした。男は癒され強められ、イエスの言葉に応じ立って歩くのです。イエスは萎えて弱った心を深く憐み、受け入れて下った上で、未来に目を向け、立ち上がらせ、歩む勇気を与えて下さるお方です。
3月5日 メッセージ要約
- 2017-03-05
- メッセージ2017