「イエスキリストの名によって」 使徒行伝3章1?16節
イエスは神の御心を教えられることと、病人のいやし・悪霊の追い出しをされることを、車の両輪のようにして力ある御業を進められました。不思議な業により神の御教えをあきらかにする、という伝道の原型はモーセの10の奇蹟の頃から今日までも続いています。旧約から新約の時代に至るまで、様々な箇所で聖霊は働いておられました。預言者は神の霊に満たされた人々による働きでした。その聖霊が「あなた方に臨むとき、あなた方は力を受ける」とイエスは弟子達に言われました。美しの門で、生まれつき足の弱い男にペテロとヨハネが「金や銀は私にはないが、私にあるものをあげよう」と言えたのは、キリストが弟子達にお与えになった権威・病める者をいやす聖霊の力によってでした。信仰は、自分自身が権威を手に入れるのではなく「キリストの名によって」いやし主であるキリストに『仕える喜び』をもたらすのです。そして、信仰も神様から与えられるものです。人に依存している状況にある足の弱い人に今、必要なものは体のいやしだけでなく、自立して神様に目を向けるための「信仰」でした。自分の弱さを自覚することと、依存することは別です。人間関係に失望し、自分自身を見失い、もう進めないと思っているその人を、無条件で受け入れて下さる神様が回復を与え、立ち上がらせて下さる。その働きをされるのが聖霊様です。私達もイエスキリストの名によって聖霊を受け、様々なことを乗り越えさせて下さる力を与えてくださいと祈りましょう。信仰生活の中で、御霊の実を豊かに結ぶことができますように。
6月11日 メッセージ要約
- 2017-06-11
- メッセージ2017