7月9日 メッセージ要約

「主はヨセフと共におられた」創世記39章
ヨセフは兄弟に奴隷として売られ、一切の物を失ったように思われました。ヨセフを買い取ったのはエジプトの侍従長ポテファルでした。そこで忠実に仕え、仕事が認められ信頼されました。言葉と文化の異なるエジプトでの奴隷生活は心細かったことでしょう。真に頼るべきものが無ければ、正しく生きていくことは困難です。ひねた生き方をする誘惑を退け、神を畏れ、ゆだねられた物を忠実に管理する中で、当のヨセフは気づいていませんが、後に大臣になる訓練は始まっていたのです。神はすでに大きなご計画をもっておられ、その将来に向けヨセフを整えておられたのです。しかし、ポテパルの妻の讒言にあい牢獄へ入れられてしまいます。なぜ正しく生きようとする者が苦難に遭うのか、人生の不条理は信仰に歩む者の一つの問いです。「自分もしくは身内が何か罪を犯したから、今の結果を招いてしまったのかもしれない」と因果論に拠ると、罪探しで追い詰められてしまいます。しかし立場や状況が悪くなっても、今ある所で誠実に最善を尽くす、それが神に祝福されたヨセフの応答でした。「神が共におられた」ヨセフは獄屋の中でも管理能力を評価され、やがて王にそば近く仕える高官が入獄した際、彼らに仕えることになります。全ては神の御手の中で起こった出来事であり、神も彼と共に在ってヨセフの生涯を導かれたのです。私達も神のご計画の中で生かされていることを覚え、状況が良くても悪くても神から任された物を正しく管理し用いながら、信仰が引き上げられるよう祈りましょう。