「神はいのちを救うため」創世記44:14~45:15
長い間エジプトにおいて辛酸を舐めたヨセフでしたが、宰相に任命され、7年の豊作とそれに続く7年の飢饉に備えていました。兄達が食料調達のためエジプトへ訪れましたが、過去に兄達に受けた仕打ちを思うとヨセフは葛藤し、平常心ではいられませんでした。人は簡単に加害者を許すことは出来ません。何十年経っていたとしても、恨み、怒り、憎しみ、悲しみを忘れることは出来ません。壊れてしまった人間関係は易々と回復しないのです。被害者が加害者に欲しいものは心からの謝罪です。父と弟の心配をしながらも、兄達を疑いの目でみていたヨセフは偽計を用いてベニヤミンがエジプトに残留するように仕向けます。ベニヤミンの身代わりに自分が奴隷となる、と言って執り成すユダにヨセフは心動かされます。兄達が後悔していることを知り、自己犠牲をとわず末弟を守ろうとする姿に心を解き、自分がヨセフであることを兄達に告白します。そしてヨセフは「神が一族を救う為に、先に私をエジプトへ遣わされたのです」と神のご計画を理解するのです。神の視点で振り返る時、過去に起こった出来事の意味が変わったのです。執り成しと救済史観から見えてくるのはキリストの十字架です。キリストは私達を罪と死の支配から救う為、私達の身代わりに十字架にかけられ、苦しまれ死なれました。しかし死からよみがえられ、贖いの御業を完成されたのです。人々から捨てられた方が、人々のいのちの基となられたのがイエス・キリストです。痛みや苦しみの無い人生はありません。過去と現在を別の視点でもって受け止めようと神に祈るなら、私の人生に神はご計画を現して下さることでしょう。
7月30日 メッセージ要約
- 2017-07-30
- メッセージ2017