9月17日 メッセージ要約

「道、真理、命」ヨハネ14:1?11
イエスは「あなたがたは私の行く所に来ることはできない」と語られ、動揺する弟子たちに「心を騒がせることはない」「神を信じ、わたしを信じなさい」と励まします。信ずれば心を騒がせる問題が無くなるわけではありません。11、12、13章においてイエスも「心を騒がせた」と記述されています。それは問題を前にして気が動転するとか、未来に対し心配が尽きないとか人的な心理ではなく、罪と死に向き合い対決する場面においての緊張です。『罪と死』は、私達が向き合わなければならない問題です。しかし私達自身ではどうにもできない問題をイエス・キリストが引き受け、解決してくださるのです。さらにイエスは「あなたがたのために天の住まいを用意しに行くのだ」と話されました。ユダヤ人が、律法の遵守と善行を励行した義人の報いとして考えられた「天の住まい」を造る、と言われたのですから弟子達は驚いたことでしょう。イエスが行こうとされているのは十字架の道であり、目的は私達に義人と同じ報いを受けさせるためだと言うのです。イエスは「わたしが道」だと話されましたが、目的地点までの道中という意味よりも道なき荒野に対する「道」、別の譬えでは「門」という意味に近いでしょう。「道」は生き方を表す比喩として用いられます。宗教、思想哲学、あらゆる芸術文化‥各方面を極めるための活動は、更なる高みを求めるものです。その境地に至るための道は複数あります。それと同様に天の御国に通ずる「道」がたくさんあるわけではありません。天への「道」はイエス・キリストのみです。キリストの宣言は人の上昇志向とは真逆でした。神の御子は人の姿を取り、天から降ってこられたのです。主と共に「この道」を歩む者が、真の命を得るのです。「あなたがたと共にいます(マタイ28:20)」と話されたイエスが、神の住まい(?コリ3:16)に相応しい者として私たちを整えてくださるのです。