10月8日 メッセージ要約

「心の内が燃えた」ルカ24:13?32
本日は聖餐について学びます。テキストはエマオの往路。イエスは十字架で死なれ、墓は空っぽになっていた。主を喪い、希望を失った2人が、疑問や憤り、嘆きを交えて語り合っているところに突然ひとりの人が会話に参加します。人生の目的を見失って恐れ悲しんでいた2人は、この出来事の意味するところの答えを見つけられないでいました。しかし2人が気づかず話していたイエスは、彼らが慣れ親しんできた聖書の話も、初めて聞くような意味を持たせ、新しい知識へと導きます。混乱し、悶々として狭い考えの中に閉じこもっていた彼らに、視野を神のご計画という目線へ引き上げられたのです。「栄光」に入る前にキリストは苦しむべきだった、死と破壊から「栄光」へ移られた、という言葉は2人に特別に響きました。聖書の文脈に沿って解き明かしされることで、気づかなかったことに気づき、真理が見えるようになったのです。2人はイエスを家へ招き入れましたが、イエスが客人をもてなす主人となりパンを割き食事を分けました。食卓を囲む親しい交わりの風景で、2人は彼がイエスだと気づきました。そこで再びイエスの姿は見えなくなりましたが、喪失の体験はもはや彼らを弱らせるものではなくなりました。「道々でお話しになっている間も、聖書を説明される間も、私達の心は燃えていたではないか」復活の主イエスとの出会いが目のおおいを取り除き、新しい力を受けました。神様も私達と深い繋がり、親しい交わりを望んでおられます。イエスはそれを無理強いする方ではありませんが、2人が自分達から主を招き入れ、食卓を共にした時に彼らの心の目が開かれました。聖餐式のたびにその出来事を思い主の食卓に招かれ、また自らの意志で主に近づいていることを覚えましょう。