1月14日 メッセージ要約

「信仰の確信」(ヘブル11:1?3)
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」信仰の一つの定義ですが、これだけで説明し尽くせるものではありません。百卒長のように“神の力”を信じること(マタイ8:5?10)だけでなく、『キリストに在って』歩む(主を信じ、主イエスと共に考え、行動する)―神と人格的交わりを持って生きること、主イエスの愛の戒めを実践することも信仰を表します。 『確信』は原語では《土台、根底にあって支えるもの、確証》《権利証、保証する書類》などの意味があります。つまりイエス・キリストを信じることは救いの確証、神の国への切符を持っていることと同じ役割を果たすというのです。 『まだ見ていない事実を確認する』ということは、キリストに対する信頼(信仰)が私たちを根底で支えるものとなるのです。人生の中で私たちを悩ます出来事は、問題の解決や将来のことがまだこの目で見えていないから、不安に押しつぶされそうになるのです。そのような時こそ、実際は目に見えないけれども主が共にいてくださるのだと信仰を働かせる機会です。信仰も与えられるものです。私たちの意志の強さや思いの純粋さなど個人の資質によって恵みの多寡が増減するわけではなく、その信仰・信頼を向ける方との関わり繋がり方によって支えられ守られていることを知るのです。聖書に登場する数々の先人達も、彼らが偉大だと称えられているのではなく、問題を乗り越える糸口は神にゆだねる信仰であると、彼らの人生を通して私たちに教えているのです。