2月18日 メッセージ要約

淡路聖会 説教「あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:16?34)
パウロとシラスは、ピリピの伝道旅行で占いをする女から悪霊を追い出し、金儲けできなくなって怒った女の主人から役人に訴えられました。騒ぎを大きくしたくない役人は2人を捕らえムチ打ち、牢獄へ収監します。2人は恐れることもなく獄屋の中で賛美を歌っていたら突然地震が起こり、扉が開き囚人達の鎖も解けてしまいました。驚いた看守が自害しようとするのをパウロとシラスが制止します。ローマの権力に縛られ、不自由な自分に引き換え、理不尽な仕打ちをされ牢獄にいながら地震が起こっても平然としていられる2人に圧倒され、看守は「あなた方が持っているものを私にも下さい、私は救われるために何をしたらいいでしょう」と尋ねます。パウロ達が持っていたもの、それは「私の平安を与える‥あなたがたは心騒がせてはならない」とイエス様が言われた、救われた平安です。『イエスを信じる』ということは『全てを持っている』ことと同じです。All in one、全ての物が一つに含まれているように、イエス様を信じることが根本の解決につながるため、どんな困難や災害が起こっても複雑な問題の中にいても、この方を信じていれば平安でいられるのです。『信じる』というのは『ゆだねる』と同じことです。医者を信頼し自分をあずけ、診立ててもらった指示に従い回復していくように、イエス様は信頼に値するお方だから安心して全てを任せられるのです。信仰は、「分かったから信じる」のではなく、「信じたら分かる」ものです。イエス様に自分の人生を丸ごと明け渡していれば、どんなことが起きても動じることなく平静を保って立っていられるのです。魂の救いを得て、輝いて生活するクリスチャンのありのままの姿が喜びを以心伝心して、家族や周りの人が救いに導かれるのです。パウロとシラスは看守とその家族に「私達の喜びの源はイエスである、この方を信じれば救われる」と語り、彼らはイエスを「信じた」のです。私の父は死に至る病のいやしを体験し、川崎先生のもとで信仰決心をしました。賛美し楽しそうに教会に通う父の姿を見て「イエス様はすごいお方だな」と感じ、やがて私も洗礼を受けました。信仰が広がるのは、クリスチャン一人ひとりが神様に置かれた生活の場で咲く、信仰・希望・愛に生きることだと思います。それぞれが救われたところで、家族や知人にイエス様の栄光を伝えていくことができますように。
講師:大塚学師(大阪中央福音教会)