「わたしは有って有る者」(出エ3:13?22)
燃える柴から語りかけられた神にモーセは「(イスラエルの人々に)『その名はなんというのですか』と聞かれたら、なんと答えましょうか」と尋ねます。神は「わたしは有って有る者」と答えられました。主・ヤハウェは「ある」「存在する」=「生きる」「命」という言葉から派生しています。ご自身の中に根源的な命があり、何者にも依らず永遠に自立自在している「存在者」なるお方。人は一人では生きていけない、水や食べ物や空気がなければ命を保てない弱い存在ですが、絶対者であり命の源であるお方が、愛の心を持って私達に関わって下さる。聖なるけがれを知らない神は遠い所から人間を傍観しているのではなく、私達と共にいて何か事を起こそうと働かれるお方です。イエス様は安息日にいやしを行ったことを責められた時、「わたしの父は今に至るまで働いておられる、わたしも働くのである」(ヨハネ5:17)と言われました。私達の家庭や職場や社会との関わりにおいて、神と繋がらない時や場所はありません。聖書の神は現在も生きておられ、身近に働きかけておられる、私にも神が共におられると認め感謝することができたら、今は変化が見られない生活であったとしても、神の御業に参加している過程なのだと、信仰の目でもって物事を俯瞰することができたら幸いです。私達の人生の中で、人に虐げられたり苦しめられて何一つ益がない、無駄だと思えるような期間があったかもしれません。しかし神は誠実に生きようとする者を見過ごされるのではなく、苦労をあがなって下さるお方です。ヤコブが祈りの中で「生まれてから今日まで私を養われた神‥」(創48:15)と告白したのは彼の体験からくる信仰観です。神は各人の体験を通してご自身を啓示されるお方です。「あなたの神様はどのような神様ですか?」と尋ねられたら、どのように答えるでしょうか。導かれる神、養われる神、困難の中にあっても助け出される神――、それぞれの体験の中に共に歩んで下さる愛の神を見出すことができれば幸いです。
3月4日 メッセージ要約
- 2018-03-04
- メッセージ2018