「神の御前に立ち返る祈り」(使徒行伝2:14?21)
ユダヤ人は五旬節の時にはエルサレム周辺の男性は皆参加するように決められていました。熱心な、敬虔な信者が世界中から集まり、律法を与えられたことを感謝する祭りでした。聖霊に満たされた者が口々に外国の言葉で神を誉めたたえ始めたのを見た人々の中には、酒で酔っ払っているとあざける人もいました。旧約聖書の中では異言を語るという現象は記されていません。神の臨在・聖霊の働きの象徴として炎や風が用いられることはあります。また過去に神の御霊なる聖霊に満たされた人々が預言を語る(民数11:25、26)こともありましたが、歴史的な事柄が目の前で起こっているとは思いもよらなかったでしょう。そこでペテロと弟子たちは立ち上がり、これは神が預言者ヨエルを用いて語られた預言の成就であると話しました。ヨエルの時代、自然災害やいなごによる農作物被害で完膚なきまでに叩きのめされましたが、神は回復と復興を約束されました。そして神が御霊を注ぐ前に促しているのは心からの悔い改めと(ヨエ2:12-14)皆で集まってきよめをし、礼拝をささげる(ヨエ2:15-17)ことでした。ペンテコステの日に聖霊が注がれたのは、これらの条件も満たされたからでしょう。イエス・キリストを信じ、従わんとする人々が一所に集い、心を裂くようにへりくだって神に立ち返るため祈りに専念していたところに、神の預言・イエスの約束の聖霊が注がれたのです。この出来事は過去のことにとどまらず、今、私たちも体験することの出来る約束と受け止めましょう。断食、涙、嘆きによる悔い改め、それらはできるだけ遠ざけたいものかもしれません。しかし心が頑なで高慢であると、私たちの心に臨もうとする聖霊を拒み続けることになります。神はへりくだって近づこうとする者、心を開き神を求める者を喜んで迎え入れてくださるお方です。神の息が死体の上に吹いた時に新しいいのちに満たされたように(エゼキエル37:9-14)、聖霊の風は砕かれた魂が体験し得る恵みと新しいいのちの喜びをもたらすのです。
5月27日 メッセージ要約
- 2018-05-27
- メッセージ2018