6月10日 メッセージ要約

「神があなたがたのために」(使徒3:11?26)
生まれつき足のきかない男の人が立ち上がり、完全に癒されたのはペテロとヨハネの能力や信心によってではない、イエス・キリストの御名によるのだとペテロは人々に言い、説教が始まります。その冒頭は「あなた方がいのちの君(いのちの源、いのちの導き手)を殺したのだ。」このインパクトの強い言葉は聴衆の心を突き刺しました。彼らはイエスが神を冒涜した、民衆を惑わした、偽預言者だ‥と徹底してイエスを否定し、十字架によって殺害しました。ユダヤ総督ピラトは、イエスを死刑にする理由が見つからず放免しようとしましたがユダヤ人にその裁定を反対されました。また祭りの日に罪人の一人を免除する慣習からイエスをその一人として名前をあげましたが、それもユダヤ人に拒まれ、しかも「イエスを十字架につけろ」という声が大勢を占めたので結局イエスは民衆の声に押された形で十字架刑に処せられたのです。イエスを殺さない選択もありましたが、人々がそれを望み、決断したのです。神が人々の救いのため、命の道へと導くために遣わされた預言者・指導者を血祭りにあげることは旧約の時代から行われたことでした。そしてモーセに勝るいのちの君をも殺してしまいました。人は、弱さ愚かさ故に歴史を繰り返すのでしょうか。ペテロの言葉を聞いた人々は取り返しのつかないことをしてしまった、どうあがいても、どう言い訳しても赦されない罪深いことをしてしまった、と悔やみ、おののいたのです。忘れてはならないのは、現代の私たちも彼らと同様の罪の性質、愚かさを持っているということです。自分は失敗するまい、罪は犯さないと思っていても、神の助けなしにはペテロのようにいのちの君・正しい方を拒んでしまう弱さから逃れられない存在なのです。彼らと同様の愚かさ、弱さ、罪深さを持つ私たちですが、取り返しのつかないことをして深い後悔があっても、自力ではどうしようもなくても、神は回復を与えて下さるお方だということを心に刻みましょう。「神がまずあなたがたのために」いのちの君であるイエス・キリストを世に遣わされ、復活の導き手としてイエスを死者の中からよみがえらせたのです。