6月17日 メッセージ要約

「父の御心、御子の道」(ヨハネ14:1?14)
親というものは生み出すもの、育むもの、導くものであります。父なる神様は滅びに向かう人間を救い出してわたしのもとに迎えたい、と人間が受けるべき罰・死をご自分の御子に背負わせて無条件の愛を示されました。この福音によって新しい命が生み出され、信仰の生涯が育まれ、永遠の命の道へと導かれるのです。ヨハネ14章ではイエス様が「心を騒がせず‥まず神を信じなさい」と御父の存在、役割、御父が成すことについて説かれました。教会というのもこの地域・社会において生み出すもの、育むもの、導くものという父親の役割を担っているのです。トマスは「どうしてあなたの道を知ることができるでしょうか」と尋ねます。詩篇25:4にもあるように、聖書は私達が道を問う者であると言っています。道を尋ねなければ目的地へは辿り着けない存在なのです。イエス様は「私が道であり‥私を通してでなければ父の御もとへ行くことはできない」と答えられました。父の御もとへ行く、これが私達の歩むべき道です。道を探し求めるために必要なのはへりくだる心です。「本当に自分は足りない者、自分には道を見つける力も知識もありません、私は何もない貧しい者です」という貧しさ。それと同時に、神を心から畏れることが必要だとイエス様は言われました。ここで使われている「道」の原語は「踏みつける」という意味もあります。人々が歩いて踏み固められた所が道となるのです。イエス様は人々に鞭打たれ、唾を吐かれ、踏みつけられる生涯でした。しかしそれは創世記の預言にあるようにサタンを踏みつけ、滅び・死の力を打ち砕くための道だったのです。クリスチャンの生涯は父の御心を歩もうとするとキリストと同じ迫害、困難が伴います。しかし失望で終わることはありません。既に世に勝利された御子によって、何者にも踏みにじられることのない道を歩むならば、私達の苦難は神が用意しておられる消えることのない希望に変えられるのです。御子と御父は思いを分かち合っていました。信仰に歩む者にとって重要なことは神の御思いにとどまり、神と共に歩むことです。私達が神の願い・計画を知ろうとするならば「自我」のラインから飛び出して、御子が歩まれた道に踏み出すべきです。それは御父と完全につながって歩まれた御子の感じた幸せを体験することができる道です。与えられた人生の残りの時間を、その道を歩むことで神と心を通い合わせる最高の喜びを獲得し、最高の幸せな人生を送ろうではありませんか。
アッセンブリー京都教会 村上渡師