7月1日 メッセージ要約

「しるしと不思議」(出エジプト7章)
出エジプト記7章8章ではモーセとアロンがパロの前で行った神の奇蹟を、エジプトの呪術師たちも真似しようとします。奇蹟を起こせることが力の証明、権威の正当性のあかしではありません。マタイ24:23?でイエス様は偽預言者や偽キリストが現れ、大きなしるしや不思議なことを行って人々を惑わす、と注意しています。数々のしるしを行ったとしても、それが神様の栄光を現すために天から与えられたものか、欲を満たすために人の耳目を集めるためのものなのか、見極める必要があります。イエス様は「私の言葉を信じることができないならば、しるしを見て信じなさい」と言われましたが、目に見える奇蹟というのは私達を納得させる強い力があるのです。しかし奇蹟だけを見てその人物を神から遣わされた者であると安直に判断してはいけません。聖書はその人物や出来事からどのような実が実ったかを見て判断するように教えています。エジプトの魔術師たちが行った秘術は、人々を幸せにすることはできませんでした。モーセとアロンと同じようにナイル川の水を血に変えたり、全土にかえるをあふれさせたりして被害を拡大させても、それを食い止めるための魔術は行えなかったのです。さらにモーセとアロンが地のちりからぶよを大発生させると、魔術師たちにはそれができませんでした。その後も次々と神の奇蹟は行われ、人間の小手先のまやかしを凌駕する超人的な業をエジプト全土に見せつけたのです。もう一つ注目したいのは魔術師たちが杖を蛇に変えたところ、神の杖はその蛇を飲み込んだ奇蹟です。「飲み込む」と同じような言葉が出エジプト15章で追手のエジプトの兵隊が紅海にのまれた時に使われています。いずれもパロが神に抵抗するけれども、最後は神が完全に勝利することを「飲み込まれた」という言葉に表されています。神のご計画であってもそれに抵抗する者、私達を攻撃する者は必ずいます。移りやすい人々は人生の勝利者、力ある者の側につくため私達は侮辱され迫害され、敗けているように感じる時もあります。しかしイエス・キリストによって死は神の勝利に飲み込まれた(?コリ15:55)ことを心に留めておきましょう。