頑なな心」(出エジプト10章)
第7の災いでは激しい雹が降り農作物、家畜に甚大な被害を及ぼしました。しかし災いが収まり、雹の被害を免れた作物も残っているのを知るとパロの心はまた頑なになりました。それに対し神はモーセを通して「いなごにより残った作物も全て食い尽くす」と警告します。家臣たちは危機感を抱き、「彼らを去らせて下さい、国が滅びかかっているのが分からないのですか」と初めてパロに進言します。かつてない非常事態だというのに、何度災いが下ってもそこから学ぶことができないパロの目は覆いがかかっているようです。自分のこだわりによって冷静になれず、状況が客観的に見えないために真実からどんどん遠ざかってしまいます。明らかに自分が間違っていると分かったとしても、権力者としてのプライドや目先の利益を優先して、神の前にへりくだることを良しとしなかったのです。その驕り高ぶりが、結果身の滅亡を招くのですが、ここでパロは「壮年だけ行け‥女子ども、財産は置いていけ」と要求します。人質を残して、完全に手中から去らせるつもりはないのです。神はそれをお許しにならず、いなごの害を下されました。台風のように襲撃したいなごの群れは、エジプト全土に渡って緑のものは何も残さず食い尽くし、まさに完膚なきまでにエジプトは叩きのめされました。それでもイスラエルの人を去らせなかったパロに、神は第9の災害として濃い暗闇を3日間続かせました。しかしゴシェンの地だけは光がありました。太陽神ラーの子とされる現人神を打つ災いに、パロはまた妥協案を示します。「家族は連れて行っていいが財産は残せ」と。少しずつ譲歩しているようですが、頑なさというものは何度も砕かれても、核となる部分はなかなか折れないものです。私たちもパロのような強情さがあると、砕かれなければ神に目を向けることはできません。神が言われたことは「ではこの条件なら」と交渉するものではありません。神を信頼し、全てをゆだねる、良きものを捧げるのが礼拝であり、神に仕えるということなのです。
7月22日 メッセージ要約
- 2018-07-22
- メッセージ2018