8月19日 メッセージ要約

「希望をもって喜んでいる」(ローマ5:1?11)
この書簡はパウロがまだ行ったことのないローマの地で、信仰を持っているまだ会ったこともない人たちに向けて書き送ったものです。ここでは「信仰によって義とされた私たち」は、神との平和と、神の栄光にあずかる希望を持っていると喜んでいます。喜ぶ=誇るとも訳せますが、旧約聖書(詩篇20:6?7)では私たちが誇るものは「我らの神、主の御名」であると示しています。ここでは誇る=頼る、信頼するという意味を含ませています。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る」戦車、軍馬は重要な軍事力であり、沢山持つ者が勝利する、力ある者と見なされていました。しかし詩篇の作者は「彼らはかがみ、また倒れる」武力を誇る者たち・神でないものにより頼む者たちは、それらが弱るとつまずき倒れてしまう、しかし神を頼る者は転んでもまた立ち上がることができる、とうたっています。パウロは「キリスト・イエスを誇りとし」(ピリピ3:3)、「どんな人間でも、神の御前に誇ることがないため」(?コリント1:26?31)と言っています。救いは自分の力によってではなく、キリスト・イエスへの信頼によって与えられたのだから、と。もし自分の能力や努力によって救いを勝ち得たのであったら、恵みの座から落ちないように常に戦い続けなければなりません。その地位を保つために奮闘し続ける人生に平安はあるでしょうか。神が私たちを召して下さり、やがてキリストに似た者へと変えられて行く希望を下さいました。その希望を信じ、誇りにするからこそ患難さえも喜ぶと書かれています。患難は忍耐を、忍耐は錬達を生む、と言っていますが、錬達は承認、批准というものも表しますが、鉱石を溶かして金かすを除き金属を精錬することを意味します。練られた品性とは、その人が身に着けた徳性ではなく、苦難をくぐり抜けて神様がつけて下さる承認、認可のことです。ですから「錬達は希望を生みだす」のです。