「信じる者の幸い」(ヨハネ福音書20:27?29)
キリスト教は信頼できるか?と言う問いにあなたはどのような回答を用意しているでしょうか。私はその問いが教会へ向けられているものなら明快に信頼できます!と断言はできません。人のつくる共同体・組織である以上完全ではなく、ときに信頼を損ねる罪過ちを犯すからです。しかし、信仰の対象であるキリストは信頼できる、と断言します(ご利益を期待するなら失望することでしょう。その人の願望と神の計画は異なるものだからです)。その根拠として聖書の神の永遠性と不変性があげられます。時代・状況・民族・国家が異なれば価値観や習慣・習俗は変わって行くものですが、聖書の真理は永遠に変わりません。地域によって異なるローカルルールではなく、不変で普遍的な真理です。また福音書に記されているキリストの人柄(ご性質、ご性格)を知れば、真に信頼できるお方であると知ることができるでしょう。キリストを信じることが出来れば?罪が赦される、?永遠の命を得る(永遠に変わることない神様との関わりを得る)、?神の家族とされる(天の国籍を得る)のです。私達自身が罪の代価を支払わなくとも、キリストを信じるだけで神からの承認が得られるのです。神(キリスト)は?私を選んでくださった(ヨハネ15:16)、?私を大切にしてくださっている(イザヤ44:3)お方です。競争社会の中で絶えず比較され、人の価値は貶められ歪められる一方です。見下される人の世において、神の私達に対する慈しみは深く、「わたしの目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」この神の私達に対する評価を聞き、世間では奇異に思われる方もいるでしょう。人それぞれ価値観が異なれば物事の視点も違います。ある物に対する強い思い入れが評価額となり、市場価格とは異なる値をつける人もいます。永遠に変わることのない神は、あなたが何者であろうと、ずっと探していたかけがえのない宝ものとして喜ばれる方です。神のあわれみと恵みを知り、このお方を信じることが出来れば幸いです。
9月2日 メッセージ要約
- 2018-09-02
- メッセージ2018