「教会へ行こう」ヘブル人への手紙10:19~25
台風の日にこのタイトルですが、今日は教会(信じる者の集い)へ行くことについて考えてみたいと思います。礼拝出席を怠っていることで、キリスト者の身分がはく奪されるわけではありません。ひとりクリスチャンとして生きていくことは可能です。しかし教会に行くように私達を励まし、他の人にも勧める理由を5つ挙げてみます。?神の家族であるために:初代キリスト者は共同生活に入り、家族と同然の生活の中で信仰を育みました。教会で顔を合わせ共に食事をし、交わりをして、孤独にならないようにします。?教えを受けるために:教会は家族であると共に学校の要素もあります。初代教会の使徒たちは教会の実践的管理のために「執事」を任命しました。それは使徒たちが「もっぱらこの奉仕に励むため」にです(使徒6:3-4)。神はある人を牧師または教師として立てられ、信じる者たちが教えを受けて整えられ、キリストのからだを建て上げることを望まれています(エペソ4:11.12)。?宝を分かち合うため:キリスト者が真理を受けるのは、祝福と愛を他の人と分かち合うためです。この宝はどんなに分け与えても、無くなることはありません。分かち合う喜びは尽きることがありません。?調和を保つために:夜と昼、春夏秋冬、休息と労働、これらによって私達の生活のリズムが生まれます。主が定められた安息日には心と体、霊性を回復するという目的があります。ひたすら神に心を向け、調和と回復を保つために時間を確保する、それが礼拝でもあるのです。?聖書的理由(ヘブル10:25):安息日にや礼拝・集会に参加することはイエスご自身が模範を示されました(ルカ4:16)。イエス様は父なる神様を「霊とまことによって」礼拝するよう教えられました(ヨハネ4:23)。私達の体は聖霊の住む神の宮です。また教会は一人ひとりがキリストの体の一部です。互いに助け合い、仕え合い、祈り合い、励まし合う中でイエス様をさらに知り、さらに主に近づき神との交わりを豊かにすることができるのです。
9月30日 メッセージ要約
- 2018-09-30
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