「神の計画」創世記45章1?8節
何故私はこのような苦しみを経験しなければならないのか、何故自分だけこのような不幸が続くのか?現在の状況を受け入れる理由として、これも全能なる主の御手の中の出来事である、と考えられれば幸いです。私だけ幸福から見捨てられた運命なのだ、という諦めでは悲しみと痛みが付きまといます。また人や社会・時代を責めれば、怒りが込み上げ虚しさが心を覆います。ヨセフの生涯は苦難の連続でした。兄弟に嫌われ外国へ奴隷として売られ、一生懸命仕えた家では讒言にあい牢屋に入れられ、夢を解き明かし王にとりなして下さいとお願いしても、しばらく忘れ去られていました。元はといえば兄達の妬みからこのような現状に陥ったのですが、その兄達に自分の身分を明かそうと決断した時、ヨセフは長年の恨みを晴らそうとしたのではなく、私が今ここにいるのは神の計画である、ヤコブの家族を守るために先にエジプトに遣わされたのだと語りました。私達の人生の中で起こる辛い出来事、それによる私達の悲しみや痛みを神は放任されてはいません。その出来事を用いて神は何かをされようとしています。私達が何かに執着しそれが人格の成長を妨げているのであれば、神はその執着を断ち、違う方向に目を向けさせるために大事にしているものを取り去られることがあります。時間的経過で人生を顧みると、あの苦しみの出来事が益と変えられたという神の視点が与えられ、その痛みに寄り添いずっと支えて下さった主の存在に感謝する時が来るのです。
11月18日 メッセージ要約
- 2018-11-18
- メッセージ2018