「我が助けは主から来る」詩篇121篇
この箇所はエルサレムへの巡礼の際に歌われた詩篇です。「わたしは?」「あなたの?」と歌っていますから一人ではなく複数人で読み、または歌ったと考えられます。地域のユダヤ人、または一族で声をかけあって集団で都のぼりしたようです。古代の旅は現在のような安全で快適、しかも早いというわけにはいきません。強盗・略奪、自然災害、食料の難とあらゆる危難が想定されましたから、無事に帰って来ることができますように祈り心をもって見送るわけです。「私は山に向かって目をあげる」シオンの山、かつてアブラハムがイサクをささげようとしたあのモリヤ山にソロモンの神殿が建てられていました。「わが助けはどこから来るのか」アブラハム、イサク、ヤコブに現れた主はご自身を紹介される時「私は全能の神である」と示されました。彼ら信仰の偉人たちは様々な苦難、失敗がありましたがその都度、神が助け守られました。権力や財力、人や物ではなく最も頼りになるのは天地を造られた神です。人間が創作した神々ではなく、私達を、この世界を創造し支配されるお方です。「海と陸を造られた天の神」というのはヨナの言葉です。御顔を避けて逃げようとした人ですが、不思議なわざで捕らえられ「救いは主にある」と信仰告白しました。神は「まどろむことも、眠ることも」なく、エルサレムへの行き帰りだけでなく生涯も守ってくださるのです。私達はもっと神様に期待し信頼して、愛する人々の守りとに祈りましょう。
11月25日 メッセージ要約
- 2018-11-25
- メッセージ2018