「御国の奥義」マタイ13:1?23
イエスの宣教に対して信じる人々と、反対する人々も現れ始めました。12章においてはイエスの家族が登場します。パリサイ派の人や律法学者に嫌われたら自分たちはここで生活ができない、と懸念して引き留めに来たのでしょうか。イエスは「私の父の御心を行う者は誰でも」神の家族である、と言われました。その後、御教えを聞こうとする群衆に種まきのたとえ話をしました。古代ユダヤの農業は種をまいてから、くわを入れて土を柔らかくしていました。まかれる種も、種のまき方も同じでしたが、良い土地に落ちた種だけが実を結んだという話です。何故たとえで話されたのでしょうか。具体的な物語によって抽象的な真理を分かりやすくする意図と、天国の奥義を聞くことを許された者(信じる者)と許されていない者とに分けるためです。奥義とは、ギリシャ語では宗教団体に入会した者だけに伝授する秘法、儀式のことを指します。キリスト教では真理は公に隠されているものではなく、人間の努力や修行や研究を極めてから伝授されるものでもありません。「神の国はいつ来るのか」という問いに対しイエスは、神の国は見えない形で来ている、神の御言葉を聞いてそれを守る者の中にある(ルカ17:20)と答えました。真理について、このいのちの意味について知りたいと神に求めるならば、その者は神の御言葉によって神の国についての知識を深め豊かにし、何の興味関心も持たない者はいよいよ天国から遠ざかるというのです。神の御言葉を退けることによって、自分が救いと赦しにふさわしくない者と証明しているのです。御国の奥義、神の国で最も大事なことはイエスを信じその言葉に従うことです。
1月27日 メッセージ要約
- 2019-01-27
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