2/10礼拝説教「天の御国のたとえ」マタイ13:44?52
天の御国の価値についてイエスは、見つけた宝のために財産を始末してでも手に入れようとする人のたとえ話をします。本当に価値のあるものを見出すと、その得難くかけ替えのないものを自分のものにするために、今あるもの全てを手放しても惜しくないと思うのです。私たちは天の御国の価値の大きさを知っているでしょうか。私たちの人生において大切な選択、決断をしなければならない時、価値判断の基準になるのが信仰(聖書の御教え)です。聖書の御言葉にこそ探し求めていた真理があると気づいたならば、その学びに時間と労力を割くことを惜しまないものです。天の御国について学んだ学者とは(13:52)イエスの弟子たちのことです。弟子たちはユダヤ教の専門機関での学びを積んでなくても、御国の奥義を知る者たちです。天の御国の奥義を知る者は、1.新しいものと古いものを取り出します。必要に応じて出し入れする、すなわち真理の良き管理者です。2.倉から取り出す一家の主人。すなわち真理の管理責任者として、相手に必要な内容と方法でもって真理を提供できるということでしょうか。自分はそのような立場の者であると踏まえて信仰生活を歩むことです。普段の何気ない言葉や行動の端々にその人の信仰観や信念は出てくるものです。自分は正しいと思っている律法学者、祭司、パリサイ派などの反対する人たちは、後に泣き叫び歯がみする人たちですが、私たちも自分を御言葉に照らし、本当に価値あるものを見失わないようにしましょう。キリストの愛に根ざして、天の御国の価値を知る者、御国の奥義を得た者として歩んでいこうではありませんか。
2月10日 メッセージ要約
- 2019-02-10
- メッセージ2019